リリーフ投手という継投策の概念は宮田征典が生み出した
現代でこそ投手の分業制という考え方は当たり前となってますが、一昔前までは先発完投は当たり前で継投は主に敗戦処理という考え方がありました。
しかし、そのような時代に川上哲司監督は継投策という概念を生み出しそこで宮田征典選手をリリーフ投手として抜擢することにしたのです。
現在の抑え投手というのは最終回を抑えきって終わりということが基本的な起用のされ方となっていますが、当時のリリーフ投手は現代のロングリリーフが基本となっていて七回や八回から起用され、そのまま試合終了まで投げ続けるというものでした。
宮田征典選手は川上哲治監督のこのような起用にしっかりと応え、1965年にはリーグ最多となる69試合に登板をして更にリリーフ投手でありながら20勝をあげるという好成績を残したのです。
宮田征典選手の活躍もあって、その後の日本プロ野球界には徐々に継投の重要性が認識されるようになり、その後は多くのチームが抑え投手を要するようになったのです。
現在でもなお先発は完投をするものだという概念が残っていますが、今から50年も前にすでに継投という概念を生み出していてそれを実践して成績を残した投手と監督というのもいるのです。